僕が僕であるために。

尾崎豊、当時は好きじゃなかったの。
尾崎がデビューしたのが、俺が中坊のとき。その頃は「学校ドロップアウトした奴が、何を偉そうなこと喚いてんだ。こっちは色んなことがありながら頑張ってるんだよ」って思ってた。ウザかったんだよ。

でさ、時間が有り余ってるんで、久しぶりに「十七歳の地図」を引っ張り出してきて、聴いてみた。

いいんだわ。

なんで30半ば過ぎのおっさんが、17歳のガキの書いた詞に感動せねばならんのか。

17歳の時に尾崎が選んだ言葉は、当時ティーンエージャーになりたてだった自分にとっては、それなりの重さ/軽さしか感じさせなかった。でも今、このアルバムを創った時の尾崎の年齢をはるかに超えて、それどころか尾崎が死んだ年齢さえ軽く超えて、改めて聴き直してみると、重いんだよ。言葉のひとつひとつが。

多分、あの頃尾崎が感じていたそれぞれの言葉の重みより、今、自分が感じている重みの方が、年を重ねた分確実に、重い。

無意味の様な生き方 金のためじゃなく 夢のため 愛のため そんなものにかけてみるさ…
どんな生き方になるにしても 自分を捨てやしないよ…

あの日見つけたはずの真実とはまるで逆へと歩いてしまう…

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない…

……
まぁ別に、17歳のガキの青臭い言葉たちに今更影響されてどうこう、って事じゃないけどさ。ただ十代の頃の、もしかしたら只のカッコつけでうわべだけのこんな言葉たちが、年を食って、改めてココロに突き刺さるって面白いね。

40過ぎて、同世代の哀しさとか、閉塞感とか、意地とかを歌う尾崎豊を聴いてみたかった。

カテゴリ: