福岡市内の競馬場。解決篇。

 というわけで、前回のかつて福岡市内に競馬場があったんだ。でも詳細が判らない…の続き。昭和初期の地図を見ると、福岡市南区の高宮辺りに競馬場があったようなのですが…という話です。

 困ったときには図書館へ。郷土資料のコーナーで『南区 ふるさと』という本を見つけました。編者は福岡市南区民俗文化財保存会、発行は平成4年。目次を眺めてみると、ズバリ「高宮の競馬場」というページがあります。ビンゴです。ちょっと引用してみると…
 …ということだそうだ。以下、箇条書きで内容を記すと、
  • 大正の初めごろまで、那珂川井尻橋付近の河原で、時おり草競馬が行われていた。
  • 大正八〜九年頃、高宮の地主たちが農地を提供し、競馬場を開設
  • 春と秋に2〜3日ずつ競馬が開催されていたようだ。なかなかの盛況ぶり。
  • 昭和三年から区画整理が実施されたため、僅か6〜7年で閉鎖。
  • 閉鎖後すぐに、春日原に競馬場ができた。
うん、大正末期から昭和初期にかけて、確かに高宮地区に競馬場が存在したのですね。「那珂川井尻橋付近の河原」にも競馬場があったという新情報も。現在の香蘭女子短大付近でしょうか。

 さて、他の文献にもあたってみましょう。春日市の郷土史家・赤司岩雄の著作『春日原地区歴史散歩』という小冊子にも、福岡市近郊にかつて存在した競馬場の記述がちらっと出てきます。獣医をしていた高田亀治郎という人が明治22年から昭和23年にかけて記していた日記に、以下のような事がらが書かれているそうだ。
  • 明治二十〜三十年代:井尻河原、老司、別所、東公園などで競馬が開催されていた
  • 明治三十一年〜三十三年:雑餉隈で競馬が開催
  • 大正に入ると:箱崎、西新町、新柳町、井尻川原、糸島郡前原、朝倉郡篠隈、三井郡北野などで開催
  • 大正六〜十二:平和台の福岡練兵場でも開催
  • 昭和五〜七:春日の小倉(=福岡競馬場)
  • 昭和七〜十五:春日原競馬場
ここに書かれている「新柳町」の競馬場というのが、おそらく高宮競馬場のことでしょう。実際の「新柳町」というのは現在の清川辺りですが、高宮の競馬場、北九州鉄道の「新柳町駅」から程近い場所にありますからね。

 まとめると、
  • 福岡市とその近郊では、明治時代から各地で(草)競馬が行われていた。
  • 大正の半ばごろ、高宮辺りに競馬場開設。盛況であった。
  • 高宮競馬場は、区画整理の煽りで昭和三年ごろ閉鎖。
  • 昭和五年に春日・小倉に福岡競馬場開設。
  • 昭和七年に福岡競馬場を春日原に移設。
  • 昭和十五年に春日原競馬場が閉鎖。
ということで。

カテゴリ: