小戸妙見神社から糸島半島方面を望む。
わはは。ちょっとレタッチし過ぎたか。 こんなに鮮やかな紅ではなかったな…。
小戸公園の北西の端っこを妙見崎と呼びます。ここは小高い丘になっていて、丘の麓に木製の鳥居が建っています。その鳥居をくぐると丘の頂に向かって細くて急な小径が延びていて、登り切ったところに、ビニールテントに護られた小さな祠が鎮座しています。これが小戸妙見神社。
祠のそばに、この神社の由来が書いてあるのですが、これがちょっと面白い。
夢のお告げに従って、廃れていたお社を掘り出して再建…という、昔話のような奇跡が現代に起こったのですよ。なんともファンタジックでロマンチック。
で、かつてこの場所に祠があったという話は江戸期の名著『筑前国続風土記』に記述があって、先に引用した由来書によれば、
原著にあたってみましょうね。ひとつめは簡単に見つかります。『筑前国続風土記巻二十』の姪濱の項にあります。
「妙現」=「妙見」でOKなので、要は「妙見の社があるので、小戸の西を妙見崎と呼んでいますよ」ということですな。この、江戸期の書物に記述が残るお社の屋根を発見して、祠を再建した、と。
で、ふたつめの記述。こちらが謎。『筑前国続風土記』って、ぜんぶで三十巻なんだよね。どこにこの文章があるのやら。
ヒマなときに調べてみよう。→ 2011.08.10追記:調べたよ。
わはは。ちょっとレタッチし過ぎたか。 こんなに鮮やかな紅ではなかったな…。
小戸公園の北西の端っこを妙見崎と呼びます。ここは小高い丘になっていて、丘の麓に木製の鳥居が建っています。その鳥居をくぐると丘の頂に向かって細くて急な小径が延びていて、登り切ったところに、ビニールテントに護られた小さな祠が鎮座しています。これが小戸妙見神社。
祠のそばに、この神社の由来が書いてあるのですが、これがちょっと面白い。
(…前略)数年前まで岬名を残すだけのありようであった
さて、この聖地にあって、今年(二00三年)より十数年前、或る人の夢枕に龍神が瑞験し、霊告により導かれ、地中に埋没していた現社殿の屋根である古石を掘り出したのが発端である
しかし、事情あって、地面に放置されたままであったのが、二00二年の一月、心ある人々の手によって再建され、更に本年(二00三年)の四月の改築となり、現在、妙見神社として御鎮座なさっている次第であります
さて、この聖地にあって、今年(二00三年)より十数年前、或る人の夢枕に龍神が瑞験し、霊告により導かれ、地中に埋没していた現社殿の屋根である古石を掘り出したのが発端である
しかし、事情あって、地面に放置されたままであったのが、二00二年の一月、心ある人々の手によって再建され、更に本年(二00三年)の四月の改築となり、現在、妙見神社として御鎮座なさっている次第であります
夢のお告げに従って、廃れていたお社を掘り出して再建…という、昔話のような奇跡が現代に起こったのですよ。なんともファンタジックでロマンチック。
で、かつてこの場所に祠があったという話は江戸期の名著『筑前国続風土記』に記述があって、先に引用した由来書によれば、
小戸の西を妙見崎と云ふ 則妙現の社あり
この地 平らなる岩なり
そして、この地 平らなる岩なり
(筑前国続風土記巻二十)
小戸の西の山を妙見山と云ふ 山上に石祠あり
とのこと。(筑前国続風土記巻四十三)
原著にあたってみましょうね。ひとつめは簡単に見つかります。『筑前国続風土記巻二十』の姪濱の項にあります。
小戸の西を妙現崎と云。則妙現の社有。此地平なる岩也。
「妙現」=「妙見」でOKなので、要は「妙見の社があるので、小戸の西を妙見崎と呼んでいますよ」ということですな。この、江戸期の書物に記述が残るお社の屋根を発見して、祠を再建した、と。
で、ふたつめの記述。こちらが謎。『筑前国続風土記』って、ぜんぶで三十巻なんだよね。どこにこの文章があるのやら。
ヒマなときに調べてみよう。→ 2011.08.10追記:調べたよ。
日出島哲雄
二番目は青柳種信の『筑前国続風土記巻拾遺』巻四十三にあります。
tyzから日出島哲雄への返信
ありがとうございます。
自力でも探し出せました。→ http://freefielder.jp/blog/2011/08/post-648.html