(画像クリックで拡大)
海岸線が判る福岡地区の絵図としては最も古い時代のものだそうですよ。
説明文は↓こちら。
由来がちょっとややこしいですが「鎌倉時代に描かれたものを江戸時代に筆写し、明治になって住吉神社に奉納された絵馬に描かれたもの」だと。ということなので、海岸線はともかく、ここに記された地名が鎌倉時代のものであるのか、その後の時代のものも混じっているのか、これだけでは判断できません。
この住吉神社の絵馬に描かれた古図の元になった(あるいは同起源の)絵図が、福岡県立図書館のデジタルライブラリで閲覧できます。
→ 博多往古図 @デジタルライブラリ|福岡県立図書館
「博多往古図」の方には、もう少し細かく地名が書き込まれていますな。
全体的にかなり大雑把な図なのですが、往時の博多・福岡の地形が忍ばれます。ちょっと大きめに描かれた博多部では、住吉神社・櫛田神社・東長寺・承天寺・聖福寺・濡衣塚などなど、昔から現在までほぼ同じ場所にある寺社の位置が書き込まれているので、イメージを膨らませやすいです。
この図を一枚見るだけでも、
- 昔は海が奥まで入り込んでいたのだなぁ。
- 「長浜」は文字通り、「細長い浜」だったのだなぁ。
- 「汐原(現在は塩原)」は海岸で、塩を作っていた場所なのだなぁ。
- 「箕島(現在は美野島)」は本当に島だったのだなぁ。
- 今も地名として残っている「草香江」は「江」が付くだけあって、海だったのだなぁ。(ちなみにこの草香江は後に、城のお堀として利用されました。今の大濠公園ね)
- 「鵜来島」は今でも、福浜の沖に浮かんでいるなぁ。
- 現在は、住吉神社と櫛田神社のあいだには川なんて流れていないよなぁ。「比恵川」って何ぞや。
- 那珂川の西側を流れている「四十川」って、今で言うと、どの川だろう。
- 「草香江」は、どれくらい内陸まで入り込んでいたんだろう。
...、ほらほら、なんだか面白いでしょ。この辺の疑問は、追々解決していくことにします。
ちなみに上で書いた「汐原(塩原)」ですが、塩原中央公園の片隅にこんな石碑が建っています。
「潮煮塚碑」。
この碑の裏側に説明書きがあります。
(画像クリックで拡大)
コメント