ハナミズキ。

世の中で、何に対していちばん恐怖を感じるかというと、これが何故か一青窈。ファンのみなさま、ご本人さん、ゴメンナサイ。でも怖いんだから仕方がないのです。

テレビで、彼女がカメラ目線で歌いだした日にゃ、背筋に冷たいものが走り、鳥肌が立ち、すかさずチャンネルを替えてしまいます。大げさじゃなくて。
嫌いなわけではないのです。『ハナミズキ』なんて、ほんとうに名曲だと思う。でも怖い。まともに聴けない。ココロの奥底で感じる、本能的な恐怖。なんなんだろう。考えてみた。

これはどうやら、彼女が書く歌詞に、ひとつ原因がありそうだ。彼女の日本語は、日本語として微妙な違和感を感じさせるのです。この「微妙な違和感」というのが重要なところで、もし「てんでデタラメ」だったら「なにそれ?」と思うか、あるいはただ笑い飛ばせばよいのだし、「ごく普通」だったら何の引っかかりも無く耳に流れ込んでくるだけ。でも一青窈の歌詞には「微妙な違和感」があって、それがココロのどこかに引っかかって、その引っかかりが恐怖という感情を想起させる(少なくともオレに対しては)のではなかろうか。

『ハナミズキ』の一節。
夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃう


この「僕から気持ちは重すぎて」がじわじわくる。

もちろん歌詞ですから、言葉をメロディやリズムに合わせるために省略したり、転置したり、意味の無い間投詞をはさんだり、または韻を踏んだり、そういうテクニックはもちろん使うでしょう。上のフレーズを、使われている言葉を尊重しつつ読み下してみると、こんな感じだろうかな。
夏は暑過ぎて 僕から[(君へ)の]気持ちは
一緒にわたるには重すぎて きっと船が沈んじゃう

うん。意味も通じるし、特にヘンではないですね。でも「僕からの気持ちは」あるいは「僕から君への気持ちは」というフレーズを「僕から気持ちは」としてしまう省略の仕方には、違和感を感じませんか。それを「いやいや全然普通ですけれど、何か?」な感じで堂々と歌われてしまうので、こちらが感じるのは「あれ、こっちの感覚がおかしいのかしら」という不安→恐怖...という図式ではなかろうか。

うんと幸せ』。
風邪をひいてはじめて知る
心配をしてくれる人
独り言の多いあなた
まだまだあるよ

これはまた不安感をかき立てる。このフレーズをひと固まりで見ると、絶妙なバランスで意味が解らない。なんで急に「独り言の多い」? 何が「まだまだある」の? でも彼女は「理解できないのは、あなたの所為でしょ」と言わんばかりに堂々とこれを歌う。こちらは「世界中でコレを解ってないのはオレだけなのかも」という疎外感にも似た不安感→恐怖。

怖い。

あと『もらい泣き』。これは別のパターンで、オレの恐怖を想起します。
goo 音楽かどこかで全体を確認してもらえば良いのですが、字面だけがすっごく怖い。歌詞の内容自体は怖くもないのです。別に他人を怖がらせようと意図してこんなふうに書いたわけではないのでしょうが。

たとえば、
こんな 文章。ブログ。

の 内容 に 関わら ず
あなた が どの
ページ
開いても、こんな レイアウト
ばかり ならば、きっと
ちょっと『おかしいかも』、この人...。
不安
と、恐怖。
感じ ま せん
か。

おっと、この書き方、なんだかとっても文章を書きやすい(笑。そしてなんだか楽しい。リズムに乗って、どこまでも文章を繋げていけそうな気がする。まずい。なんという感染力。

でも まぁ
人、
と 人とのあいだ。隙間。
そこには 理屈だけ で は 理解不能な、溝。
隙間 が
それが僕と、一青窈
の あいだに あって
だから 僕 の
ココロに、不安感。恐怖感...。これは
もう
どうしようも ない
しかたの ない、
事、
なの です ね。



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まぁ『ハナミズキ』に関して言うと、いろいろなアーティストがカバーしていますが、例えばこの曲の作曲者・マシコタツロウが歌うバージョン(→『歌う声を聞けば』に収録)や、新垣結衣のバージョンなどだと、オレを恐怖に陥れることはないのだなぁ。

歌詞の不安定感 + 一青窈の持つオーラ が、恐怖心を煽るのかもしれません。

どうか来てほしい
水際まで来てほしい

なんて言われて水際まで行くと、そのまま笑顔で突き落とされそうな、そんな感じ。



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