「猪木-アリ戦の真実」の真実。

2月9日のテレ朝系『伝説のスポーツ名勝負 今明かされる舞台裏の真実』で33年振りに試合のVTRが放送された、伝説の「猪木-アリ戦」。最近としてはかなり良い、瞬間最高視聴率17.1パーセントを記録したそうだ。

で、あれを見ていた知り合いが「アリって、体面を保ちたかっただけの卑怯者だよね〜」っていう感想を言っていたので、史上最強のボクサー・モハメド・アリの名誉のために、ちょっと書き留めておこうと思う。

この番組内で流された「真実のストーリー」は大体次の通り。

  1. アリが「東洋人と戦ってやっても良い」と(冗談で)発言。
  2. 猪木が挑戦表明。
  3. 紆余曲折がありながらもアリが挑戦を受諾。
  4. エキシビションのつもりで来日したアリが「リアルファイトだ」と告げられて困惑。
  5. アリ、試合前の猪木のスパーリングを見て怖じ気づく。
  6. アリ、試合中止をちらつかせてルールの変更を要求。猪木の攻め手を全て封じるような「がんじがらめのルール」を突きつける。
  7. アリ側はルールの詳細の公表を拒んだ。
  8. 試合でも、アリはボクシンググローブ(或はバンテージ)に細工をして、拳の破壊力を増していた。
  9. 猪木はルールの中でただひとつ残された攻撃手段「寝そべってアリの足を蹴る」をひたすら繰り返す。
  10. 試合は「世紀の凡戦」に終わる。
場合によっては「ルール変更に関して、アリの取り巻きであったブラック・ムスリム団による脅迫があった」とか「試合で万が一アリが負けてしまったらその場で速やかに猪木を射殺するために、リングサイドに銃を持ったギャングが待機していた」なんて話が付け足されることもある。当時の猪木のブレーン・新間寿の発言や、祝康成の著書『真相はこれだ!―「昭和」8大事件を撃つ』などなど参照のこと。

このストーリーは一般にもある程度認知されていて、例えばWikipediaのアントニオ猪木対モハメド・アリの項もこのストーリーにそって記述されています。

で、別の見方。
2007年に発売された柳澤健1976年のアントニオ猪木』。当時の猪木の周辺人物への取材などを通して、1976年の状況を明らかにする...という本なのですが、これによると、

  • アリは元々、プロレス大好き。
  • アリは"プロレス"をするつもりで来日した。
  • しかし、猪木もアリも意地とプライドから"リアルファイト"に拘った。
  • プロレス→リアルファイトという試合形態の変化に伴ってルールも変更。しかしその内容は、言われているような「がんじがらめのルール」ではなく、極々バランスの取れたものだった。
  • アリはグローブ(バンテージ)に細工をしていない。リング上で猪木のセコンドであるカール・ゴッチが確認している。その様子はテレビでも放送されている。
  • 猪木に少しでもタックル技術があれば、試合はあのような"凡戦"にはならなかった可能性が高い。
ということなのですな。

この『1976年のアントニオ猪木』という本、賛否両論が渦巻いていて「ただの暴露本の一冊じゃねぇか」とか「肝心の猪木本人へ取材していないじゃないか」なんてことも言われています。個人的には「昭和プロレス/アントニオ猪木が好きには必読の書」だと思いますが。

著者・柳澤健のプロレスに対する立ち位置に関しては、以下の記事が参考になるかも。

『1976年のアントニオ猪木』を紐解く : All About : 柳澤健への長めのインタビュー記事。

で、著者は、雑誌『Number』の2007年7月5日号・『アントニオ猪木が語る"1976年のアントニオ猪木"』という記事でアントニオ猪木へのインタビューを実現していて、この本の内容を補完してくれています。

どちらのストーリーが真実に近いのか。

いずれにしても「マスコミが真実を伝えている」なんて有り得ない見識だというのは、みんなが気付いている通り。特に自らが利害関係の中にいる場合には、とてもじゃないが信用できたものじゃない。例えば「TBS - K1 - 秋山成勲」が利害関係で結ばれていたように、「テレ朝 - 新日本プロレス - アントニオ猪木 - 新間寿」は試合から33年経った今でも利害関係で結ばれているのです。

第三者によるドキュメンタリーが出て来ない限り(柳澤健の著作はいい線行ってると思いますが)、この試合の「真相」って明らかにならないのでしょうな。

1976年6月26日、プロレスラーと世界一のボクサーとのリアルファイトが行われて、物心ついたばかりの自分を含め世界中の人に失望を与え、世界一のボクサーは足に血栓症を患って引退を早め、プロレスラーは「プロレスとリアルファイトの狭間を行き交うファンタジー」を日本格闘技界に根付かせ、そして「世紀の凡戦」は「息詰まる好試合」へと評価を変えて、今に至る。

みんなが目にした「事実」は、それだけ。
さて、「真相」は如何に。

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2009.3.26追記:
1976年のアントニオ猪木』、本編加筆+上で触れた猪木インタビューを収録して文庫化されています。読み応えあり。


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