ヒーロー。

「ご職業、何をされているんですか?」って、訊ねられることがある。
飲み屋のカウンターだとか、旅先で知り合った人にだとか、職質の警察官にだとかw。

なんでたった今、顔を合わせたばかりの人間に自分の職業を言わねばならんのか。基本的に、自分の事は放っておいてほしいのだ。しかも、俺ちょっと特殊な仕事をしている(していた?)んで、ひとに自分の職業を告げた後の質問攻めが予想できるのさ。

「具体的に、どんな事するんですか」
   (えぇ、例えばですね…)

「あ〜凄いですねぇ〜」
   (いやいや、別に凄くもないっすよ…)

「夜遅くなったりするでしょ」
   (えぇ、まぁ…)

「土日も関係なく仕事でしょ」
   (えぇ、まぁ…)


面倒くさい。実に面倒くさい。
だから、もう2度と会わないような人に対しては、誠に申し訳ないのだが、話題が広がらないような職種を適当に答えたりしている。

でも、例えば久しぶりに旧友が集まった同窓会。
そういう席で「お前、今なにやってんの?」って訊かれたら、まさか嘘をつく訳にもいかないので、面倒くさいのを承知で正直に話をするのだが。

中には、本当に人には言えない職業に就いている奴もいたりする訳だ。

「もう一軒、行かないか」
久しぶりに開かれた、中学校の同窓会。その二次会の帰り際に、不意に声を掛けられた。
振り返ると、コートを羽織りながら僕の方に視線を向けているK。Kは僕に並びかけながら、もう一度「どう?」と誘いかけた。

今日はKとはあまり話をしていない。というより、中学に通っていた時もよく話したという記憶は無い。なぜ僕を誘ったのか、いまひとつ理由が解らない。まぁでも断る理由は無いし、第一、次にいつ会えるか分からない。

「そのあたりのバーでいいか?」

Kはそう言って歩き出す。連れて行かれたのは、何の変哲も無い普通のバー。
カウンターの隅の席に二人で腰を下ろした。他に客はいない。Kはジントニック、僕はスコッチのダブル。マスターが無言で、僕らの前にグラスを置いた。

「さっきの店でさ、仕事の話になって」

…あぁ、隣のテーブルは確かにそんな話で盛り上がっていた。でもKはただ「人に言えるような仕事じゃないんだ」と繰り返すだけで、その言い方は柔らかなのだが、どこか妙に真剣で、いつの間にかKに仕事の話を振る奴はいなくなっていた。
そんな隣のテーブルの様子を眺めながら僕は、Kは本当に、いわゆる裏稼業というものに手を染めているんじゃないか、なんて想像をしていたのだった。

「覚えてるかな?中学の卒業文集。俺が『将来の夢』って欄に何て書いたか」

覚えている。
Kは卒業文集に「将来の夢:ヒーロー」と書いていた。滅多に冗談を口にしないKの几帳面な文字と、その書かれた言葉とのギャップは今でもよく覚えている。

「みんなに笑われたよなぁ」

確かに。中学生で「ヒーロー」はないだろう、普通。

「まあな。でも俺、マジだったんだぜ」
Kはそう言うと、遠くを見るように視線を上げた。真剣な横顔。
「うち、親父が酒乱でさ」
ジントニックを口に運んで、Kは話し続ける。
「今でいうDVってやつ。お袋、いつも傷だらけで。とうぜん家には笑いなんて無くて」
Kは僕の方をちらりと見た。自嘲的な笑顔。
「でも俺はガキだったから、何も出来ない訳だよ。体もちっちゃくって。お袋のことを眺めながら歯痒くってさ」
ため息。
「だから、ヒーローになろうと思ったんだ。ヒーローってのは、強くて、優しくて、そして誰からも愛される。みんなに笑顔を運んでくる。そういう風になりたいと思ってさ」

中学時代のKのイメージは、寡黙な努力家。
いつもクラスメイトとは少しだけ距離を置いて、そしていつも穏やかに笑っていた。家庭にそんな事情を抱えていた事は知らなかった。

「でさ」
そう言ってKは、残りのジントニックを一気に飲み干した。氷がカラカラと音を立てる。
「俺、夢を叶えたんだよ」

僕はグラスを止めて、Kの横顔を見つめた。夢を叶えたって?
Kはカウンターの向こうに並んでいる酒瓶に、真っ直ぐ視線を向けたままだ。

しばしの沈黙。
からかわれているんだろうか。

「ヒーローは孤独だ。正体を隠さなくちゃならない。だから誰にも仕事の事は言えないんだ。例え家族であっても」
Kの横顔はとても真面目で、冗談を言っているようには見えない。第一、冗談を口にするような奴じゃなかった筈だ。Kは正面を向いたまま話し続ける。

「子供ってすぐ喋っちゃうだろ?うちのパパ、ヒーローやってんだ!なんてさ。そしたら大勢の人の夢を奪っちまう訳だよ。だから、言えない」

僕は無言のまま、Kが喋っているのを見つめている。
現実感は、全くない。Kは、一体何の話をしているのだろう。
そんな僕に構わず、まるで隣に僕がいないかのように、Kは話し続ける。

「妻にも秘密。口、軽いんだよ。だから一応、普通の社員証とか名刺も用意してもらって。まぁ『世を忍ぶ仮の姿』ってところかな。毎晩毎晩、遅くまでご苦労様、なんて嫌味ったらしく言われる事もあるけどな」

K、あのさ、その話、何て言うか…。僕はようやく口を挟んだ。

「ああ」
Kは顔をこちらに向けた。僕の顔には戸惑いが確実に浮かんでいるはずだ。
僕のその表情を見て取ったのだろう、「俺の話を疑ってるのか?」といたずらっぽくKは微笑む。
「冗談なんかじゃないんだ。俺、ヒーローになったんだよ」

しばしの沈黙。

そしてKは、ひとつ大きく息を吸い込んで、言葉を発した。
突然の、衝撃の告白。

「俺、ドアラなんだよ」

…ドアラ?

「な、人には言えんだろ?」

ドアラって、あの…?

「お前、よくドームに野球見に来てるじゃん。それも内野の前の方のいい席でさ。儲かってるんだろうなぁなんて思いながら見てたんだよ、いつも」

ナゴヤドーム。
そう、うちの息子がドラゴンズ好きで。会社のシーズンシートが空いてるときに、子供を連れてちょくちょく見に行っている。ベンチ脇の特等席だ。別に僕が儲かっている訳じゃないのだけれど。

「俺の方がお前に気付いてて、お前は俺の事を知らない。これってアンフェアだろ?そういうの、俺の趣味じゃないんだ。だから言っておこうと思って」

ドアラ。
『荒ぶる有袋類』、『フリーダム』。いわずと知れたドラゴンズのマスコット。
確かにドアラは、ドラゴンズファン、否、全国の野球ファンにとって「ヒーロー」と呼べる存在かも知れない。強くて、優しくて、そして誰からも愛される。みんなに笑顔を運んでくる。

「まぁ、いくら孤高のヒーローだとしても、本音を言えば、誰かに正体を知っていてほしい。自分で選んだ道とは言え、結構、辛いんだぜ。家に帰ってさ、子供が『パパ、今日のドアラ、すっげぇ可笑しかったんだよ』なんて興奮してるのを見るのって。ああ、パパがそのドアラなんだよって、本当は言いたいんだよ」

僕は、もっと根掘り葉掘り聞けば良かったのかも知れない。Kが夢を叶えるまでの道程、普段の生活、オフシーズンの過ごし方…。
でもそれは、聞いてはいけない事のような気もして、そのうちに僕らのグラスはふたつとも空になって、僕らはどちらからともなく腰を上げた。

「一応、念押ししておくけどさ。誰にも言うなよ」

分かってる。ドアラの中に入っているのがKだっていう事は誰にも言わないよ。

Kは扉に手を掛けながら振り向いた。穏やかな、でも真剣な表情。
「ドアラはドアラなんだからな。中に人なんて居ない。分かるよな」

ああ。大丈夫。その通り。
ドアラはドアラ。だから「中身が誰か」なんて疑問は意味が無い。

「じゃあ、また春にドームで」
Kが乗ったタクシーを見送りながら、僕は煙草に火を点けた。

Kは、否、ドアラは次のシーズンも僕らを楽しませてくれるだろう。
ライトスタンドとの掛け合い。見事なバック転、バックフリップ。ドアラにしか出来ない個性的なダンス…。
あの笑顔の下では、汗だくのKが必死の形相で…いやいや、ドアラはドアラ。中に人なんて居ない。分かってる。

僕は今までどおり、ビールを片手にドアラの一挙手一投足に声援を送ったり、腹を抱えて笑ったりすることにしよう。そして隣のシートにはドラゴンズのキャップを被った息子。最高に幸せな時間。それは多分、K…じゃなくて、ドアラにとっても最高の時間に違いない。


というわけで、ドアラ本「ドアラのひみつ(仮)」が2月下旬にPHPから出版されるそうですよ。

まぁこんな内容じゃないと思うけどな。


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