VISITORS。

中学2年生。

色気づいたもののそんなに簡単に女の子にモテる訳は無く、なんだか軽いイジメに遭って少々ふさぎ込んだり。まぁでも当時から今と同じように能天気だったから、そんなに深刻に考えるでも無く、学校でも仲間とつるんでバカをやったりしていた。

そんな1984年の初夏。

ニューヨークからとんでもないモノがやって来たんだよね。

佐野元春VISITORS」。
単身ニューヨークに渡っていた佐野元春が現地で作り上げた、問題作。

初めて聴いた時の事は、今も覚えている。
友達のアサヒくん家に遊びにいったら、アサヒくんが庭に面した縁側で陽に当たりながら、このアルバムを聴いてたんだよね。アサヒくんは「すげぇぞ、これ」的な事を興奮しながら言っていたような気がする。恐るべし、アサヒくんの鑑賞力。

はっきり言って、当時は聴いても訳がわからんかった。「ラップ」なんていう概念を誰も知らなかった23年前。1曲目「Complication Shakedown」を聴いて、正にアタマの中はぐちゃぐちゃ。なんじゃこの音楽は!感動する以前に、どちらかというと失笑、って感じ。メロディ、どこ行っちゃったの?って。

ちなみにRUN-D.M.C.が世界的にヒットを飛ばし始めたのは1985-6年あたりから。そして意外な事に、日本初のRapを用いたメガヒット=吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」は、RUN-D.M.C.よりも早く、「VISITORS」と同じ年・1984年の11月発売で、翌年にかけてブレイク。こう考えると、日本の音楽界が新しいものを消化して取り入れてゆくスピードって、ほんとすごいよな。

多分、「VISITORS」がなければ「俺ら東京さ行ぐだ」は存在しなかったんで、そこだけ取っても佐野元春の功績は大きいのだ。

そしてこのアルバムの価値は、ほぼ四半世紀経った今でも褪せる事は無いのだ。
CD棚の端っこから久しぶりに取り出してきた「VISITORS」は、もちろんあの頃と同じ音を再生するんだけど、聴いている自分の方は23年分年を取って、その23年の間に失笑は賞賛や共感に変わって、あの頃を思い出しながらちょっとだけトンがった気分になったりもするのです。


と言いつつ、先日からのヘヴィーローテーションは、やっぱりガッキーのアルバム「そら」だったりして。「heavenly days」や「メモリーズ」や「愛を知りたくて」の切なさは何なんだろう。聴いてちょっとウルウルくる俺は何なんだろう、ほんとに。大丈夫なんだろうか。おっさんとして、正しいのか?


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